うなぎの日常

ぬるりとのびる

恐怖からの解放

恐怖とは何か、不思議なものだと思う。
僕たちは普段の生活でいろんなものに恐怖し生きている。

先進国の人間がいちばん怖がっている対象は人間そのものだと思う。
嫌われるんじゃないか、怒られるんじゃないか、無視されるんじゃないか。恐怖の元となる感情を具体的に言うとそんなものだと思う。
おそらく小さい子どもの頃の体験や記憶、そんなものに起因してるんじゃなかろうかと思う。

最近じぶんは様々な恐怖を自ら味わうような体験を率先してやっている。
例えば人前で話したり、表現をするようなことをしている。
そういう体験をし始めて気付いたことが2つほどあった。

まず一つ目は他人は思ってるより、人が恐怖してることに気づかない、もしくは気にしてないことだ。
自分から見ると、堂々とすらすらと声が上ずることなく喋っている人に後から声をかけてみると大抵の人が「緊張してた」という。
そして自分が話し終わったあとに「話すの上手ですね」と声をかけてくる人がいた。自分としては怖くて緊張して、途中でつまりながら話してると思っているのに意外な評価だった。

二つ目は人前に出ることや、表現に恐怖をいだいている人はかなり多いということだ。
そういう人が多く集まる場に行っているということもあるだろうし、人前で緊張する人のエピソードはよく聞くので当たり前ではあるけれども。

そしてその二つに気づくと心がだいぶ楽になった。人前で話すことや表現することがすこしだけ強くなくなったのだ。

その体験を通じて自分が思ったことは、恐怖を楽にしたいなら、結局怖いところにみずから出て行って、そこで発見をするしかないということだ。
いくら情報をあつめても、それはウソか本当か見分けがつかないタダのテキストであって血肉となる知恵にはなりえないのだ。

恐怖から解放されるには、恐怖を味わうこと。
逆説のような話だけど、自分は恐怖から自由になるにはそれしかないと思っている。