うなぎの日常

ぬるりとのびる

嫌な人

変な人というか、嫌な人に路上で出会うことがたまにある。

昨日はマスクをして散歩をしてたんだけど、歩いてる途中でちょっと咳をしたら、目の前のマスクをしたおっさんが睨みつけてきて唾を吐いてきた。まぁ、おっさんマスクしてるから唾吐いても意味ないんだけど。

こういう時は大体瞬間的にイラッとするんだけど、今回はイラッとした後に「これで攻撃的になるとおっさんに俺がコントロールされてるだけでは?」とふと我にかえった。そして「これをどう考えると自分の糧にできるんだろう?」と考えたら、「おっさんは自分に何かを伝えにきた、ただのイベントなんじゃないか?」という考えが浮かんできた。

「おっさんは実在してはいなくて、実は神や仏の様な大いなる存在が俺に何かを伝えにくるために派遣した存在なのではないか?」と。それでおっさんは俺にガンを飛ばしてきて、唾を吐いてきたのだと。

そう考えると不思議とイラつきの感情は無くなっていって、「そうか。おっさんはイラついた姿を見せることによって、世の中こんなにイラついてうまくいってない人生を送っている人もいるんだよと俺に認識させたかったのか」というマインドになった。

おそらくあんな言動をとるようなおっさんというのは、家庭でも友達同士でも疎まれている。嫌なことがあったとしても、それを言葉にしてうまく伝えれば揉め事にならないのに、それをわざわざ攻撃的な態度として見せてくる人というのは、それ以外の場面でも同じことをやっている。そんな人が豊かなコミュニケーションを取れる相手を持っているとは思えない。

そんな風に考えるとおっさんがとても不憫に思えてくるのだ。大変だったろうな、おっさん。どれだけ愛のない環境で育ってきたんだ、おっさん。これからもそうやって生きていくのか、おっさんと。

こんな風に考えると「嫌なおっさん」は「俺に何かを考えさせてくれて人間的成長を促してくれたおっさん」へと変化するのだ。なんということでしょう。イッツ、マジック!!これぞ究極のライフハック!!

2022/08/03

今日はオープンダイアローグのためのひたすら聞くワークショップ。

黙って人の話を聞くだけで、相手の言うことに興味が出てきて質問が出てくるような体験だった。興味が出てくるのは相手がこちらに伝わるように話してるからなのか、それとも長い時間黙って聞いてるからなのかが不思議だった。

おそらく後者のような気がしていて、普段人と話している中で5分や10分黙ってひたすら話を聞くという経験がないので、それによって自然と相手に興味が出るようになるのだろうなと。

時間がある時はこういう体験をひたすら積み重ねていければなーと思っている。

 

また、最近トラウマに関する本を読んでいるけど、あの人の不可解な行動はこういう理由があったのかとか、自分の行動もこんな意味があったのか、と気づいた。人は安心感が欠如していると不可解な行動を起こしやすい。それは自分にしても相手にしてもそう。相手に対して安心感を与えようとする行動も大事だけど、それよりもまずは自分の中に安心感というベースを作っていくようなことをしていきたいと思った。自分を幸せにすることが他者を幸せにすることにつながると思うので。

やめては書いては

久々のブログ投稿だけれど、こう言う自由に書き始める日記のようなブログ投稿というのは楽しい。自分の思考が無数に広がっていってどこに行くのかわからない感じがしてワクワクする。昔からこんなことをやっていたけど、いまだにこれがやめられず誰も読んでもなさそうなブログに書いてしまう。

 

今日のブログのタイトルの「やめては書いては」という感じで、たまに飽きてやめるんだけど、戻ってきてしまう。こうやってうだうだしながらこんなブログを書き続けるんだろう。

だいたい今の世の中というのは型を決めて、より単純に早く伝わるように書くような文章が多いのだ。これは資本主義というパラダイムで生きている限りしょうがないのかもしれない。

自分は資本主義の大いなる恩恵を受けて生きてるし、この構造はまぁまぁ好きだ。なんだけれど、これがたまにきゅうくつになる。早く、速く、疾く。あらゆるはやさを求められて人間は駆動させられる。

それが心地よい時もあるんだけど、ふと一息ついた瞬間に「これ、もうお腹いっぱいだなぁ」となる。気づけばそんな時にこんな意味のないブログを書きたくなるのかもしれない。

 

何を言いたいのかわからないけれども、ウダウダいってるブログ。これは自分の中に溜まったガスのようなものを抜いてくれて心地よいのだ。けしてこんな文章ではお金はもらえない。けれども、ごく一部の人の心をくすぐり何かを残すかもしれない。考えればインターネットという世界はもともと辺境の土地だった。その中で変わり者であたらしもの好きな人が交流して、心をかわしていた。そんなちょっと古い世界の良さをあらためて思い出してみてもいいのかもしれない。

 

もともとこんなことを言うつもりはなかったんだけど、こうやって投稿してみては、恥ずかしくなってやめては、そんなふうに続けていくのが自分のブログスタイルなんだろう。また投稿するので、気が向いたら読んでね。

ボイストレーニングのおはなし

歌が好きでちょっとしたオンラインボーカルスクールというのに申し込んで習っている。下手の横好きというやつだけど、最近ジワジワと高い声も綺麗に出るようになってきていて地味に嬉しい。
このボーカルスクールは面白くて、普通のボイトレ教室じゃやらないようなトレーニングも教えてくれる。どういうことか?
 
ボイストレーニングは、大きく分けるとボイストレーニングとボーカルトレーニングに分かれる。
 
前者は声を楽器として綺麗に響かせるようにするというトレーニングだ。雰囲気としては筋トレに近くて、普段出さないようなウィスパーボイス(息漏れ声)を出したり、オペラ歌手のような地声や裏声を出したりする。
後者は歌うテクニックのためのトレーニングで、歌の中で強弱をつけてたり、段々とクレッシェンドのように小さく歌ったり、ビブラートを効かせてみたりとそういうやつだ。普通のボイストレーニングの教室ではこちらしかやってくれないことが多い。
 
なぜか?前者のトレーニングは日本では一般的じゃなく、講師側はほとんどトレーニング法を知らないのだ。そうするとどうなるか?
楽器としてガタガタな状態で歌のテクニックだけ教えられるので、ほとんど歌は上達しないのだ。もちろん練習はしてるのでほんの少しづつ上達していったりはするが、ノイジーで硬い声のまま声の質が良くなることはない。
 
ボイストレーニングに通っている人が、いつまでたっても歌が上達しないのはここに原因があったりする。もちろん最初から楽器として良い声の状態の人もいて、それは小学校の時になんのトレーニングもしていないのに足が早い子みたいなものだ。最初からベストコンディションの状態が作れていて、歌うための喉が出来上がっているのだ。
 
海外ではどういう状況になっているのかよくわからないが、少なくとも日本のボイストレーニングYoutuberを見てると本当のボイストレーニングを教えられない人が大半というのは本当みたいだ。
 
そのボイストレーナーは本当に聴感の良い美しい声をしているだろうか?
この人のように歌えるようになりたいと思えるような声をしているだろうか?
自分はここはちょっと怪しいんじゃないかと思っている。
 
かと言って美しい声をしている人がボイストレーニングをできるかというと必ずしもそうじゃなく、元からいいコンディションの人ばかりだったりするので、なぜいい声が出せるのか?の理屈を知らなかったりする。
 
と考えるとこういうちゃんとしたボイストレーニングができる人は、いっぱいの生徒を集めてこれからどんどん大きくなっていくんだろうなと感じている。このボイストレーナーの人には本当にもっとビジネスを大きくして欲しいなと思う。

2021年3月までの振り返り

ちょっと今日最近やっていた活動が一区切りついたので、2021年前半を振り返ってみようかと思う。ここ3ヶ月ほど仕事以外の活動で忙しくしていたけど、ようやとその活動が落ち着いてきた。

一つは非営利組織のお手伝い、もう一つは大人同士の課外活動みたいなものだ。正直な感想としてはあまり活動をやりすぎると、忙しくなり過ぎて余裕を無くしてしまうんだなと思った。人によっていくつまで活動できるかには差異があると思っていて、自分の場合は2つ同時に回すのはできるけどそれ以上は無理なんだなと今回わかった。これは怪我の功名というか、ある種の収穫だった。

他の学びとしては「怖がらずに正面から相談をする」ということの大事さを学んだ。基本的に自分は心配性で勝手に他人が怒っているんじゃないか?と考える性分なんだけど、割と人と普通に話すと本人はそう気にしていないことが多い。これは何度も実感しているはずなんだけども、もっと早めに人と話すというのはクセにした方がいいんだろうなと思っている。

 他にもトピックとしてはフリーランスの案件を一つ離れる決断をしたことも大きなトピックだ。もうすでに案件としては飽きていたんだけども、なかなか決断できずにダラダラと仕事をしていた。これは先方にも正直に伝えてあるんだけど、時給という形態で働くことに自分自身が飽きている。これから先は新しいプロジェクトに関わりつつ、自分の仕事の幅を広げ、ビジネスの領域へとどんどんと能力を広げていけたらと思っている。

そのためにはスタートアップの領域への関与を広げていこうかなと。これに関しては行動あるのみなので、なるべく早く行動に移していこうと思う。

 

「エネルギーが膨らむことをやっていく」

 

これが遅いながらも打ち立てた2021のスローガンだ。これに従い心のエネルギーが膨らむことを今年は愚直にやっていこうかと思う。その結果、自分のやりたいこと、関与したいことがわかっていくと思うから。

匿名ブログの良さ

匿名であることによって、普段の自分と違う面を出せるのが匿名の良さなのかなと思っている。 普段の自分の自己イメージというものがあると思うんだけど、どうしても人はそこに縛られてしまう。 こんな発言をしたらどう見られるんだろう?元気ないのかな?そんなことを思われるのがめんどくさい。

世の中はどんどん実名の方向に進んでいるけど、もっと匿名の良さをポジティブに評価してもいいんじゃないかな? 特にHSPと呼ばれるような敏感な人にとっては、匿名ブログは気持ちを吐露できるいい場になるんじゃないかなと。

パワー、競争、お金、元気がある時はそんなものもいいけど、元気がない時はそんなものがツラい。そんなものより優しさ、安心、癒しが欲しい時もある。

そんな時にはぜひ誰も見なさそうな匿名ブログを作って、自分の気持ちの吐露をしてほしい。無意味だと思わず、君の文章が刺さる人は必ずどこかにいるはずだから。

2020年のプライベート中間振り返り

今週からざっくりとプライベートを振り返ってみようと思う。 定期的に振り返るように思ってるが、どのくらいの間隔で振り返るかは決まってない。続けられるように粛々と楽しんで振り返ってこうかなぁと思っている。

現状

振り返ってみてここ3年ほど明確な変化がなかったように感じられる。その現状を変えるために今年は行動の年と決めた。 今年した事としては、以下の通り。

  • LINEのオープンチャットで色んな人と知り合った
  • オープンチャットの部屋をいくつか運営した
  • オープンチャットの人と飲みに行った
  • Twitterのガツガツ運用開始
  • Twitterのフォロワーを1200まで増やした
  • Twitterで知り合った人とオンライン飲みを10回ほどした
  • Twitterで知り合った人からコーチングを受けた
  • Twitterで知り合ったフェミニストの子とフェミニズムについて話した

分類すると、

  • エンジニア以外の職種の友達を増やしたこと
  • SNSの運用
  • 思想・生き方の話

の3つに分けられると思う。

それぞれ振り返ってみる。

エンジニア以外の職種の友達を増やしたことは、営業やマーケの大変さを理解したり、ビジネス周りで困ったことがあったら相談できる人ができたことがメリットかなと感じた。制作や開発という職種はとかくビジネス面を理解しにくい環境にある。それは直接費用を支払う顧客との接点が弱いことに起因するように思う。 エンドユーザーに関してはUXデザインの文脈で語られることは多いので、理解はしていると思うけれどもクライアントに関する理解はどうしても弱くなってしまう。 なので、こういうビジネス面に関わる職種の人とのコミュニケーションをするのは大事なのかなと。

次にSNSの運用。これに関してはやってみて思ったのが、最終目的がない運用は推進力が弱いということ。結果、友達が増えて関わるコミュニティが増えたのはすごく良かった。けれども、なんとなく友達が増えて居心地がいい人が増えた感じがある。 まぁ、こういう繋がりがあとあとありがたいことになったりはするんだけども。 とりあえずの目標としての1000フォロワーには到達したので、友達とゆるく関わりながらゆるく運用していければと思っている。 何か明確な目標ができたときには、またアクセル吹かすかもしれない。

最後に思想・生き方の話。これは自分を作っている根幹のところなので、一番重要かもしれない。 個人的にはフェミニズムというのはマイノリティへの優しさの学問と思っているけど、いかんせん周りにいる人も含めてとっつきづらい人が多い。田嶋陽子さんのイメージが強いのと、ネット上でよく噛みつきケンカしてる人が多いからだろう。ただ本質を考えることが好きな自分としては興味深い学問だと思っている。 男とは?女とは?社会的に求められているもの。どこに差があり、現状どこで不当に扱われているのか?この視点は社会を考える上でとても大事な視点のように思う。これからもフェミニズムについては考えていければなと思っている。

ちなみにコーチングに関しては振り返りの機会や機能としては、とても役に立ったように思う。コーチングを受けてから行動が加速したように思うし、頭がスッキリしたように思う。 とはいえ、習慣にさえすれば自分でもできるように思うので、これからはブログで定期的に振り返りながら、課題に感じていることややりたいことを考えていければと思っている。

これからしたいこと

これからしたいこととしては、

  • bosyuを使って自分が抱えている課題を解決する
  • 持ち物の効率化、働きやすい、暮らしやすい環境の整備
  • お金の運用、使い方についての整理
  • よりおもしろく楽しんで暮らし、働くための仕組みづくり(ブログがカギになりそう)

こんな感じかなと。

bosyuはプラットフォームとして募集する人のTwitterが見れて人間性もわかるし、ユーザーの質も良いように思う。なのでガンガン活用して自分の生活を快適にしていきたいと思う。

楽しんで暮らしたり、働くのは自分の人生の中でも大きいのでよりよくブラッシュアップしていける仕組みを整えていきたい。ブログで淡々と振り返っていくのが一番良いやり方なんじゃないかなと思っている。

こんな感じでとりあえず振り返ってきたんだけども、自分の頭の整理としてこういう記事を定期的に書くのはとても良い。 なので、定期的にやっていければと思っている。それじゃまた!